松岡(若頭)のありえない日々

好きなことをなるべく書くブログ

フライングなのは重々承知の在宅ヲタクの辞世の句

思えば2014年の12月のことだったと思う。

翌年2月地元宮城で行われるSKE48の全国コンサート。

当時AKB48一択のヲタクであった私。普段なら気にもせず、知らぬふり。

であるはずが、何かに導かれるように2枚買った。

これが、現在につながる決断になるとは思いも掛けない気まぐれだったとは思いもしませんでした。

 

2015年の2月。全国ツアー。

はじめてのSKE。何か思い立ったわけでもないのに手にしていたチケット。

その公演で初めて彼女を見た。

3階席の中央の遠い場所からだったけど、踊ってる姿がはっきりと見えていて、それがまた使い古された表現にはなるけど、キラキラしていて。

終演後にはもはや虜で。googleで情報を出来るだけ得ようとした夜になったのも懐かしい思い出です。

 

それからというもの。

握手会に行く時には、足を運び、いつのまにか安定というかたわいもない話をしつつ、笑う顔を見て、癒されるのがお決まりになりました。

そういえば、松岡っていう名字をもらったのもあなたでしたね。

握手会レーンで1つ前で待っているとあなたはサイン会の名前を間違い、平然と「次の人の名字、松岡だから!」と笑顔で言いのけるあの光景は永遠に忘れないし、名前を書くイベントで事あるごとに「名字なんでしたっけ?」って言ってくれたのも、自分だけの一つの挨拶だったんだなって、今、すごくかみしめることができます。

 

あなたがいたから名古屋にいくこともありました。

地元のコンサートホールの3Fじゃなくて、劇場公演の出来るだけ近いところ。目の前でパフォーマンスをするあなたが見たくて、時には新幹線、飛行機、さらには高速バスを乗り継いで。

劇場公演のあなたは本当に輝いていて、なおかつ笑いを忘れずに。後輩を引き立たせながら、自分も光る。エンターテイナーぶりを堪能でき、劇場はあなたの凄さをより近くで実感できる場所でした。

 

そんなあなたには目標というか夢がありましたね。

選抜総選挙のランクインという目標。

でもそれはとてつもなく、そして果てしない目標で。僕があなたを知る前からそこに挑み、阻まれていて。

だけど、僕はその目標に対して、あなたの姿勢が正しいものなのか?と疑念を抱いて、糸の切れた風船のようにフラフラと方角的には新潟方面にざかった時期があります。

そして、そんなに深く変に熱く考えなくても良かったのにって今になれば、ちょっと後悔してしまっている自分もいます。

 

「#万年圏外脱却宣言」をスローガンに掲げ、挑んだ2017年の総選挙は速報ではランクインしながらも、次点に終わった後の「応援していて良かった。と胸を張ってもらいたいです。」と宣言した後のあなたの頑張りはすごかった。

SNSは苦手」「携帯に縛られるのが嫌だ」だとか言っていたあなたが毎日ブログを更新する。1ヶ月に10回更新すればいい方だったあなたが毎日。

2016年のソロコンでの極妻かの翌年ストパンでのキャラの振り幅のデカさと持ち前のエンターテイナーぶりと自己プロデュース能力の高さを遺憾無く発揮しましたね。

 

そういった1年の積み重ねが2018年に結実しました。

25,261票を集めての第42位。十度目の正直。

勝手に振り上げた拳を下ろせずにいる状態にいた僕だったけど、このランクインはすごく嬉しかった。本当にホントに嬉しかった。

いろんな媒体で名前を見ることも多くなったし、なによりもドラマ。

毎週金曜日の夜10時にチャンネルを合わせれば、推しであるあなたが出てくる感動は今までにはなかった感動でした。本当にありがとう。

 

そんなお礼をした2月があなたとの最後の握手会でした。

実はどことなくそろそろ卒業があるのかなとも思ったのもこの時だったのですが、これだけ早かったのはちょっと予想外でもありましたし、実感もなかったのですが、ライブの生中継で涙混じりの笑顔を見せながら大量の花束を受け取っている姿を見て、本当なんだなと寂しさとともにパソコンに向かっているわけであります。

 

卒業後は一般人に戻るということで、腹いっぱいアイドルをやりきったのだなとあなたらしいなとも勝手に思っているわけですけども、今までいろんなヲタクを笑顔にしてきたのだから、第2の人生も笑顔で絶えないんだろうなと思っていて。そう考えると一般人になってからあなたに会う人は羨ましいなとすごく思っちゃいます。実に羨ましい。

 

そして毎日のブログとTwitterを楽しみにしていた僕はこれからどうなるのだろうと思ったりもするんだけど、そこはなんとかやるしかないんだろうね。

SNS苦手で更新のネタも苦労していたんだろうけど、毎日1本のブログがどれだけの力に癒しにそして支えになっていました。感謝しかないです。

だから一般人になったら、SNSとはおさらばして、ゆっくりと携帯に縛られない生活をしてくれよな! 

 

最後に。本当に感謝の気持ちしかありません!

あなたを応援できて幸せでした。

ありがとう。内山命さん!良い旅を!!

 

松岡

 

 

 

俺はまた旅に出る〜晩夏の元気なご挨拶〜

季節は夏の終わり。

皆様はどのような夏をお過ごしでしょうか?

平成最後の夏。なんて言われておりましたし、なにか思い出に残る夏になればいいな。30代最初の夏だし…と思っておりましたら。

突如として腫れ上がる扁桃腺。そして6日間にわたる高熱地獄。

最終的には40.1℃を叩き出し、ノックアウト。大きな病院に運ばれ、結果、

[http://

 

5日間にわたる入院生活を送るという結果として忘れられない夏になってしまったという次第でございます。

 

入院ってホントにいいもんじゃない。

点滴に繋がれると動きも不自由だし、眠って起きたら点滴が終わってて血が逆流もしばしば

食事はまぁまぁ美味しかったけど、慣れると足りないわ好きなもん食いたい欲に駆られるわ…だったりしてね。健康って大事!

 

そんな中で無事退院後は静養中心で思っていた予定を過ごせなかったお盆ではありましたが

[http://

]

日帰りで東京にて新日本プロレス観戦。G1優勝決定戦。

棚橋弘至のセコンドに付く柴田勝頼の姿に涙を流しつつ(なぜかは長くなるので割愛)、楽しいひとときを過ごしました。

 

でもって、そんなお盆も通り過ぎ、間もなく9月。思えば今年は体調や仕事に振り回されて、握手会やら公演やらも行きたかったのに行けなかったイベントがあったなぁということ。そしてそこで輝いていただろう人たち、話をして見たかった人たちのことを思い浮かべることが最近多くて。

 

けどもその反面で。

怪我の功名というにはアレだけど、慌ただしかった去年に比べれば、穏やかな今年。いろいろと考えることも多かった。

そのおかげで自分の頭の中でうまく整理できたりすることができたりした。

今のこと。そして、これからのことも。

 

そうとなれば、行動するしかないんじゃない?

ってわけで、ちょっとした空白の中で頭に思い浮かべたものを処理をするように、ゆっくりとボチボチ動き出そうと思っております。

 

良い兆しなんて全体的にこれぽっちもなかった2018年の僕だけど、良い兆しなんてこれっぽちもないけど、それでもまだ2018年は続いていくなら行くしかないんだよ。なんてね。

 

 松岡

祝われようが祝われまいが節目は必ずやってくる話

20代から30代となる日を迎えた。

毎年1つずつ増えていくものなのに、5年とか10年とかそういう区切りのいい時、なにも長期間での目標計画を立ててはいないのに、なぜか肩の荷が降りたと気持ちを新たにという思いが同時に降りかかる感じはなぜだろう。

 

20代といわれる10年。

何かと制限されていた10代のことを考えると、それが解き放たれたようにいろいろと好きなように破茶滅茶やってたなって思う。

やってみたかったことはやって、実際今も残ったのはヲタクとスポーツ観戦と。

実際ヲタクはこんなに続くとは思わなかった。笑

はじめは友達の付き添いから始まり、途中は嫌々やってたことすらあったくらい。今では信じられない話だけど。でもどっかでコツ(推し)を見つけると、率先して続くもんね。不思議なもんだ。

 

千葉で1人暮らしした1年半。これも刺激的だった。

何にも知らない場所。ちょっといけば大都会東京。楽しむことには不自由ない環境で、もうちょっといればよかったかなと今でも思うくらい。

その1年半があるから、月1くらいで戻ってしまうところもある。そんだけ楽しみ尽くしてない第2の故郷といえる場所をみつけたのも財産であろう。

 

あとはヲタク通じて知りあった仲間たち。

1人で通っていた握手会や劇場が、今では行けば誰かいて、遠征やら酒やら楽しい時間を過ごすというのも感謝すべきことだなと。

某アイドルに「軍団」と言われるのはご愛嬌。これからもよろしくです。

 

さて、30代。

この10年はどうなるんだろうか。いろんなことが起こることは間違いなく。

松岡は果たして嫁を見つけれるのか。

その前に彼女を作れるのか。

それ以前に一般の女性慣れできるのか。

…そこはおいといて、できるだけ楽しい時間を過ごしていきたいなぁと。

 

何卒これからも宜しくお願いします。

そんな30代初日。健康診断が待っております。では。

 

松岡

 

 

なんだかんだで総選挙は心の奥底をブラッシュアップするよねっていう話

[http://

:embed:cite]

[http://

:embed:cite]

 

42位 内山命 25,261票

前年比164.7%、9925票増。すげー伸び率で10回目にして初のランクイン。

すごく嬉しい結果になりました。

昨年の81位という悔しい思いから、みこっ党の方々の投票、情報拡散。多大なる努力が喜ばしい結果を間違いなく産んだのだなと、選挙後数日経つ今も感じております。本当にすごい。

 

 対して私。

投票することはもちろん心に決めていたものの、自身この1年推しに推しらしい推し方(ややこしい)を果たしてしていたのかと考えると、心の中に尋ねなくてもNOっていう答えが秒でかえってきそうな感じで。

そもそ推しに推しらしい推し方(ややこしい)ってなんぞや?ってことなんだろうけど、個人的に最近ただただ重心が新潟方面に前のめりだったし、そんな自分が総選挙の時だけ頼むよ!とはなんか違う気がしたし、ただただ友人たちにも力を借りてぶん投げて、ただただ祈る。そんな感じでした。

 

選挙期間中、ただただ過ぎ行く中で思うこともあり。

思えば、内山さんを知ったのが2015年冬の宮城全ツアで3階席から見た景気の中で輝いて見えたところからで。

あの時から見始めたから、全ては知らないわけだけど。

2016年のソロコン、去年のストパンではまさにパフォーマンスの魅力そのものに加えて自己プロデュースの高さを感じられて、すごいワクワクしたこと。

 「携帯が好きじゃないからSNS更新したいけど更新しない」と言っていたのに、今では「日課」と言い、更新できない日は次の日に2つ更新するほどになったブログを筆頭に今ではメールにTwitterにインスタとSNSを器用に使いこなすようになったこと。

会いたさに名古屋・栄まで公演を観に行ったこと。彼女の仕事場所を見たくて三重のいなべFMにも足を運んだこと。そして毎回たわいもない話をして笑って終わる握手会のこと。

そして去年の忘れもしない81位という悔しい結果。

 

 そんなことを考えてたら、ふらふらしてようが、重心が米の方に行こうが、その波が大きくなろうとも、今のヲタクとしての自分の中には内山命がいるという事実が実感という名で見えてきた。

さて、これからどうする?としたのなら、もちろん会いたい時に会おうと。

3~4年前の自分。あの人にしていたように、握手会に毎回のように顔を出したり、公演に高頻度で行くような最前線のヲタクにはもうなれないだろう。

実感しててもふらふらしたいし、アイドル以外の好きなものにも飛び込みたいし。そもそもあの時とは状況も生活も変わった。

けど、会いたい時に会う。当たり前のようで、最近の自分にはできていなかったこと。そのことを今まで以上に大事にして、楽しんでいこう。

 

 十年一昔。10年をそう表現する言葉がある。

10年前の自分はいろいろあって二十歳の大学1年生。あの時の俺はなんとなく未来が明るく感じられて希望も大きかったような気がする。

そして10年後、あの時抱いた夢も未来も色褪せてうだつのあがらない会社員になった自分。だけど、10年間立ちたくても立てずにいた彼女にとって夢の詰まった舞台へ押し上げるほんのほんのほんの少しだけども役になったのであれば、それはそれで自分の人生悪くないのだなって発表後は喜びととものに謎の感傷にしみじみ浸ったね。これは自己満足。だけどもいいじゃないか?たまには。

 

とにかく、10年かけて掴んだ“25,261票”と“総選挙42位”の「勲章」は彼女がまだ見たことのないステージを体感できる(新しい仕事を頂ける)いわば「通行手形」にもなると思う。またこの「結果」で、いろんな新しい出会いもあったりするだろう。そして得た「自信」がどう彼女を変化していくのか。またそれを見る楽しみがある。

しっかり見逃さずにいないとね。だって彼女も知らないであろうあたらしいステージが始まったのだから。2年近く遠ざかった名古屋の地にも思いを馳せながらタイミングを計りながら、これからを見守ろう。会いたい時に会うことも忘れずにね。

 

 

 

 

 

…しかし、この喜びはもちろんあの人にも届いているだろうな。

一緒には喜べはしなかったけど、絶対心の底から喜んでいるはず。どこかでまた再会できるといいな。

 

松岡

ヲタク、街コン行くってよ〜はじめての街コン〜

 今月結婚式があった。

同じソフトボールチームの3つ歳下の後輩だ。お相手はマネージャーで大学時代からのお付き合いとのことで(周知の事実なのだけども)。

結婚式ってなんで見てる側はすごく幸せな気分になるんでしょうな。料理も美味かったし…満足だったんですけども。

で、2次会。ソフトボールチームの仲間と酒飲みながら話す。

「今年彼女の両親にご挨拶行く」

「そろそろ結婚を考えてる」

「最近知り合った女の子といい感じになりそう」

そんな恋愛事情を聴きながら、私は思った。

「俺、全くもって無風状態じゃね?」ってね。

実際問題ヲタクを謳歌していて浮いた話は正直全くないし、仕事場にも同じ年代の人もいなくて、そういうきっかけもないなと思いながら見て見ぬ振りをしていた感はあり。

けども名もなき街(地方の田舎)では周りは婚期は結構早く、その中では正直乗り遅れている方だし、最近では親から催促的なことが冗談めいてはいるけどあったりなかったりしていて。

そんなのもあったりしたのが影響しているのかはわからないけど、「同世代の女の人(notアイドル)と交流したいな。しないとそろそろまずいんじゃないのかな」とは最近考えてる中で友人からとあるLINEが。

「もしよかったら街コンいきません?」

考える間もなく即決で「行く」って返したのはいうまでもなかった。初めての街コンである。

 

そして当日。 

握手会に行く時ばりの身なりを整えることに「あ、今日は自分にとってはおおごとなんだな」と実感しつつ、友人と会場に向かう。

今回参加した街コンは、「参加条件:20歳〜29歳」「フリードリンク、ビュッフェ形式」「会費:男性7000円、女性1000円」という内容。

ぶっちゃけ驚きが大きかったよね。会費。差はあるとは聞いてたけどここまで差があるのかっていうのを知れたのは参加したからこそなのかもしれないかなーだなんて。

会場に入り、指定された座席に座る。4つのテーブルがあり、男女だいたい各4人ずつくらいいる形で30分くらいで席交換という形で男が回っていくスタイルの形式。

席に座った私、当然のごとく緊張。

とりあえずのシャンディーガフで乾杯をし、街コンがスタート。

まず1組目。4対4の形式で女性たちは4人連れで会社の同僚の模様。

対する私たち男性陣ですが私達2人とスーツ姿でビシッとキメた営業関係の先輩後輩の2人組の混合軍。この4人でテーブルは回っていく形に。

自己紹介もそこそこに営業コンビが話を回していき、徐々に会話のテンポがでていく展開。しかしその中でわい、置物に化す。

緊張プラス初めてのことっていうのもあるけど初対面の人とうまいこときっかけを作る話題の引き出しが自分にはあまりにもなかったことがこの原因なのかなと思ったりもして。その反面で営業コンビはすごかったね。引き出すのが上手いなって感心しちゃったものの。そう考えながら、あっという間に30分。その間にアルコールを多めに摂取しエンジンがようやくかかります。

2組目、3組目は女性陣も2組の混合軍ということもあり、1テーブルで2対2が2つという形でトーク。ここからはすっかりほどよい酔いもあってか会話ができるようになってきたかなーと。主導権は友人が持っていたけれど。

初対面で知らない2人含めた4人で話をするより、友人と2人で話を引き出す方がスムーズだよな。と改めて思ったりしながら楽しい時間をそこは過ごせたかな。

最終組は女性3人に対し男性4人という数的有利(?)の状況にもかかわらず、1対1で長時間話す個人的には危機的状況に陥るも、なんとか話をとぎらすこともなく、なんとなくキャッチボールができていたような感じもしたし、1組目の置物状況を考えれば、短時間で「急成長したな、自分。」と自画自賛(自分に甘い)。

そして、無事初めての街コンを終え、友人と反省会をし、緊張の1日を終えていくのでした。

 

実際参加してみて、そこからどうこうなるとかそういうの関係なしに参加してみてよかったなと感じていて。

普段どれだけ同年代の人と会話してないかとか、握手会で話をするにしても自分はどれだけアイドルの予習をしているかってこととか、数十秒持つだけで会話を続けさせることができると変な自信は持ってはいけない(戒め)とかいろんな気づきが多くて、そしてどんな会話でも無理がない限り会話を続けさせることができるアイドルすげぇなという尊敬もでてきたりもして。

あ!そういえば、よく初対面であまり物怖じしないでコミュニケーションとれるね!って人に言われるのだけど、それも本当は人見知りで初対面の時に沈黙が怖くて思いっきり無理して自分の中でギアを入れて積極的に話をしていたことも今回改めて思い出したりしたりもして。笑

あとね。やっぱり人との出会いって頻繁にしていかないといけないなっていうのが今回痛感したりして。いろんな人と話をすることで知らない世界のこともしれたりしたし、街コンすごく侮れないなって思いました(こなみかん)

その出会いが点になるか、線になるかは、自分と相手と神のみぞ知る。というわけで、友人は次の街コンにも乗り気で、私もそれに乗っかる気もあるので近いうちになにかありそうな予感です…。

ま!その前にアイドルとおしゃべりだ!

 

 松岡

 

 

 

 

81.

今日は総選挙感謝祭のコンサート。

もともと私用のあった私。それがドタキャンになり、それでもなんの気ないままTwitterで内容をチェックしておりました。

圏外コンで徳光が現れ、81位〜100位までのランクイン発表というある意味お決まりな流れに「一体そんな下世話な発表になんの意味があるのだろうか…」と思っておりました。そう、81位の発表があるまでは。

 

81位 内山命 15366票

 

10年間「圏外」と表記され続けた彼女にようやく順位がついた。

80位までが当選ラインなのことを考えれば、圏外という事実は変わらないわけなんだけど・・・でも、それでも幾度もなく倒れても倒れても総選挙という名のリングに立ち続けた彼女に今年の順位を提示できたことだけに関しては良かったんだろうなって思う。今までそういうことなんて全くなかったし。

 

しかし、それでも目標を達成することができなかったというのもまた事実。

80位とは30票差。その票差で当選を逃したことで、トロフィーという形に残るものはもちろん、圏内コンやアップカミングガールズの楽曲を自分だけに与えられた場所で歌うという名誉もないというなんとも残酷な現実をつきつけてしまったなというモヤモヤ感もあって。

 

正直自分のことを話すと。

めいっぱい自分の出来るだけの票を内山さんに入れたし、幾ら投げたい気持ちがあっても無い袖は振れないし…それでも速報では自身初の53位にランクインし、その勢いをそのままに一生懸命投票や宣伝している人がいることもTwitterを介して知っていたから、命さん本人はもちろんその人たちが喜べる結果をつかめればいいなと願っていた。もちろん自分もオリオンビールの用意をして祝杯の準備をしながら。

それでも残念な結果に終わり、なんて遠い場所なんだ。総選挙のステージは…ってちょっと絶望にも似た感情を当日は改めて抱いたことを覚えている。

そして総選挙は水物で、今年投票した人たちが同じように投票するわけではないし、僕自身も今年のリミットまで投げれる保証なんて全然無い。今年苦渋の思いをしたファンの人たちが今年のボーダーめがけて投票していけば、来年のボーダーラインも今年以上に厳しいものになるだろうというのは容易に想像できる。

 

けれど今日の彼女の驚きの表情、そして涙を見て何も思わないわけがない。

来年は今日のような形ではなく、開票当日に嬉し涙とかスピーチで喋らせてあげたいなと強く思った。もちろん本人もそのつもりであるけれど。

そしてこれを前向きに考えれば、今回の81位はチャンスでもあり。

今ネットニュースでは今日の結果を受けて内山命の名前が出ていて、そこから興味を持つ人もいないわけではない。名前と顔を知ってもらえる機会を得たとも言っていい。そこから総選挙に1票でも投票してくれる人を増やせるかどうかは本人にかかっているのだと思う。

 

また来年6月の総選挙に向けて、メンバーは日々奮闘していく。

そこだけではないけれど48グループである限り、メンバーもファンも一体となってそこに向けて走り続ける。

来年こそは喜ばせてあげたい。そういう気持ちになれた今回の81位という結果でした。

 

松岡 

 

mdpr.jp

 

SKE48 | ブログ | 内山命

 

 

 

 

 

Live.

只今、U18の野球W杯を眺めつつ、涙声混じりの西村菜那子さんのShowroomを聴きながらこのブログを書いています。

 

NGT2枚目のシングル発表されたね。今回は何枚買うことになるのだろうか。

ま、結局日程と枚数をにらっめっこしながら自分の納得するくらい買うことは決まっているので、今回はその話ではなくて。

 

なんだかんだで好きなものに囲まれた生活をしていて、幸せを感じているこの頃で。

今日、あるライブの振込をしてきました。高校時代に知って、CDを買って、「いつかこの人のライブ見に行って、生歌を聴いてみたいな。」って強く思った人のライブ。

少年時代の私の夢が叶う日が現実味が帯びてきて。その日、そのライブを目の当たりにした自分がどういう気持ちになるのかなっていうのが今から楽しみで。

たぶん忘れられないのだろうな。なにごとも初めては記憶の残るものだから。

 

好きなものをなるべくライブ(生観戦)で見るようにしてるのは、大学時代の終わり頃だったような気がする。

小さい頃、何が好きだったかなというと、あんまり今と変わりがなくて。

三浦カズゴジラ松井のプレーをかぶりつきながらテレビを見ていたし、モーニング娘。が出てれば「なにがアイドル・・・」と思春期特有の謎の反発心を持ちながらも親の目を盗んではちゃんとチェックしていた小さい頃の私(ちなみに矢口真里が好きだった。どうしてこうなった…。)

テレビでは見れたものではあったけど、ライブでは見れなかった。今と違って当時の私の地元はプロ野球は毎日やってはなかったし、アイドルは果てしなく遠い存在だったし。というか小さい頃の自分にとっては、チケット愚かその会場に行くまでの電車賃ですら高価で親にねだっても無理だろうとねだりすらしなかったせずに、「いつかは…」とだけ思いながら心の中に無理やり沈めてばっかりだった。

 

そして時が過ぎ、アルバイトに明け暮れて余裕のできた大学時代。

初めてのアイドルは岩手でやった「Beggner」全国握手会で。

初めてのユアスタは2011年の自分の誕生日の日に甲府戦を友達と。

初めてのライブは仙台MACANAでのクロマニヨンズ

初めてライブを体感した時の衝撃はいつまでも記憶の中では新鮮で。そこから小さい頃の自分が願ったものを叶えるかのように時間があればライブ(生観戦)するようになっていきました。

そして、ライブにすっかり魅了され、今に至るわけです。

 

社会人になって、働くことは疲れるし、辛いことも多いけど、そういった楽しみのために働いているところもあるし、そのためにだけ頑張っているところしかないですかね(笑)

今月も毎週末のようにどこかに行ってはライブ(生観戦)をしていく予定で。

そろそろ公演を当てて遠出がしたい。そんな思いでチケセンにごますりながら、今日のブログを終わりにしたいと思います。では、また。

 

松岡(若頭)